Poème2

(En japonais uniquement)

時代

わたしたちがうまれたのは
歴史も法も人の心もあやふやな
ひとりひとりがひとりひとりの
運命をにぎっているとおもっている
時代かもしれなくて

いつかあったはずの黄金時代か
いつかくるかもしれないメシアを夢見ながら
すれちがいづづけるコミュニケーションを信じている

「自給自足」と「自立無縁」が
「愛されるために愛してる」といっしょになって
楽しむために生きているひとりひとりを満たすとき
一瞬の喜びのための犠牲者と
一人でセックスするためのマニュアルを
さがす人々があふれる

心と魂
体と脳みそに
病気がひろがるとき
ありのまんまにいすわりたがり
「ここ、いまこのとき」ですべてが終わる
と信じるひとびとに

生きる悲しみは
生まれるときのよろこびにはじまって

…だれがしっているだろう?

2011年5月27日


幼児期のこと

私が子供だった日

そのひとは
私をキビシイ顔で見て
イキルノハタタカイダと言った。
だれが
なんのために
なにをもとめて
どこへいくために
なにかをまもるために
なにを
だれを

そのひとは
私をやさしい顔で見て
せかいはあいでみちていると言った。
うでのなかで
みあげる二つの目と
どこかとおい遠い世界の何処かで
おなじように誰かのうでの中で
そのだれかの顔を
見上げている二つの目と

その人は
私を見ないで
生は死までの旅路だといった。
何かをなすとしたら
どっちにしろ置き去りにする功績なら
一番道のどまんなかに
しっかり目に付く印を残して
旅立つんだと

その人は
私の後ろから
たのしけりゃいいじゃんといった。
その日その時その場所でめいっぱい生きるのが
幸せになる方法だと

その日私は
鏡に写った自分自身を見つめて
それがまるでどうでもいい
くだらないもののようにおもったり
まるで世界中の重さを背負っている宝のように
おもったりするのはきっと
私には
見えていないものがきっとたくさんあるからだと
そう思った。

その私は
私を見て
死んだら存在がなくなるとはおもわない。
存在はきっともっと全然ちがうものだ
と言ったように思う。

それから私は
眩しい日向に出て
景色が蛍光色にみえてくるまで
蟻が列になって
セミの死骸を運んでいくのを見ていた

ずっとずっと。

2011年8月13日


オルゴールの時

ひとは
忘れることのできる動物です
といってそのひとは
オルゴールを回す

厚紙に並んだ穴たちが
メロディを紡ぎ出す時

その澄んだ音が
悲しい音が

忘れたことすら忘れた記憶を
ちくちくとつつく

へいわな白い皿の上に
乗ったまあるい人参の輪切り

赤く
塩をふられて光る表面
みずみずしく

忘れることで
ひとはひとを見出していく

わすれることで
ひとはじぶんを見出していく

キヨシコノヨル

2010年12月24日

Propulsé par WordPress.com.

Retour en haut ↑

%d blogueurs aiment cette page :