セネガルの歴史を作ったイケメンたち 5選 / Quelques figures historiques au Sénégal en illustration

 

J’ai dessiné quelques figures historiques importantes au Sénégal. Désolée, les explications sont en japonais… Je vais essayer de dessiner les épisodes en bilingue, à très bientôt!


先週はタンザニアの首都、ダルエスサラームでアフリカ・アジアに関する国際シンポジウムがあり、アジアやアフリカ各国から研究者が集まっていて、本当に色々な刺激をもらいました。私たちのオーガナイズしたパネルも大成功。この報告はまた後日改めて・・・。

実はここ最近久々にイラストを描きたいインスピレーションが沸きに沸いていていたたまれず、もう何年ぶりかにスケッチブックを常に持ち歩いています。飛行機の中や空き時間にせっせと鉛筆を走らせ・・・。

思いをめぐらせているのは、セネガルの19世紀から20世紀に大活躍したイスラームの聖人たちや同時代のヒーローたちを漫画キャラで。(今までのイラストとちょっと画風が違います)歴史的資料をあたればあたるほど、これだけの豪華な面子が同時代を生きていたのか…と、ゆくゆくはこれを題材に大河ドラマ的ストーリーを描きたいなと考えているのですが、ちょっと見てもらいたくなったので描きためていたキャラデザインをアップしてみます。

時代と年齢設定が人物によってちょっとずれますが、容姿や服装などはかなり文化人類学的見地?(私の観察や実際着てみてなど)に基づいているはずです。

注 妄想によりイケメン化していますが愛を込めて描いているのでセネガルの方、たとえば描かれている聖者の方の教団信者の方々からもおそらく批判は来ないはず?と思います。

 

もちろん女性のヒロインもいますが、今回は男性限定ということで。またここでは数多くいる人物たちのなかから筆者が特に注目したキャラをピックアップしていますので、人物そのものの知名度や歴史に登場する重要度はまちまちです。

※ 名前の頭に「シェーク」とある人物が多いですが、これはイスラームの師をあらわす敬称です。

それでは、個別に人物紹介いきます!

ラット・ジョール

Lat DIOR  (1842-1886)

DIOR

セネガルの代表的な歴史的人物の一人。19~20世紀は植民地時代、フランスが「平定(pacification)」と称して西アフリカの各地にまさに侵略していった時代です。その障壁となったのは各地にすでに確立されていた伝統王朝でした。ラット・ジョールはウォロフ民族の王国であるカジョール王国を率いる最後の王で、死ぬまで戦いフランス殖民軍に対抗したヒーローとして知られています。詳しいヒストリーはまた後日。

気性は荒くて包容力は大きく、そして人間味にあふれた人物像を想定しています。


モマール・アンタ・サリー

Momar Anta SALY

SALY

ラット・ジョール王に比べはるかに知名度はありませんが、当時の名だたるイスラームの師の一人でラットジョールの相談係でした。

ラット・ジョールは、1961年ごろ、政治的な理由もあり当時同地域で力のあったイスラーム指導者のマーバ・ジャク・バ(Maba Diakhou Ba)のもとイスラーム教に改宗するのですが、モマール・アンタ・サリーはマーバの弟子であり同志でした。改悛当時マーバ・ジャク・バは55歳ぐらい、ラット・ジョールはまだ23歳、モマールは35歳ぐらい。ラット・ジョールにとってマーバが師ならモマールはおそらく頼りになるお兄さん的な存在だったのでは?ラット・ジョールの改宗にはモマールが関わっているのでは…と想像はふくらみます。

ラット・ジョールは彼の姪で王族の中でも由緒正しき血筋の娘をモマールの嫁として嫁がせたといいます。あまり歴史的記録のない人物だけに、かれらの友情の物語が描きたいなあ。もう少し歴史資料をあたってみようと思います。

そしてとても重要なこと、モマール・アンタ・サリーは後にセネガルで最も大きな教団の一つ、ムリッド教団の創始者となるシェーク・アーマド・バンバ(このページの下に描いた白装束の聖人)の父なのです!と言えば彼のセネガル史における重要度は無視できません。


シェーク・シディヤ・バーバ

Cheikh Sidiyya Baba

  (1862-1924)

BABA

セネガルというか、今のモーリタニアにあたる地域で重要なスラームの拠点ブトゥリミット(Boutilimit)を中心としてとても有力な一族で、当時のセネガルからガンビアに渡るまで影響力のあった神秘主義教団カーディリヤ派の権威、シディヤ一族の有力者。

当時国境はありませんから、大きなテリトリーとしての西アフリカでは民族や部族、宗教や王朝などの枠組みが非常に重要な役割を果たしていました。

当時のイスラームエリートは、アラブ地域やそのほかのアフリカ地域との通商を通じて、経済的にも、政治的にも大きな力をもっていました。上の絵はラット・ジョールがフランス軍に倒れる1886年ごろ(ラット・ジョールは44歳、バーバは24歳ぐらい)を想定して描いたので大分若いけれど、彼が活躍することになるのは、まさにその後。

シディヤ・バーバは、自らやコミュニティーの利益を守るため、フランスとの協調政策をとったことで知られています。当時セネガルの北部で今のモーリタニアとの国境に位置するサンルイ市は、フランスの植民拠点として発展しました。シディヤ・バーバや、フランスと協調することになる何人かのイスラーム指導者は何度もサンルイ市で会合を持ちます。

当時のフランス植民政府とイスラーム指導者、そして部族や伝統的な権威との関わりは、一概に敵対関係とも呼べず、複雑で、とても興味深い。


シェーク・アーマド・バンバ

Cheikh Ahmadou Bamba

  (1853-1927)

C_A_BAMBA

セネガル人でこの人物を知らない人はいない!今ではナショナル・ヒーローにもなっているシェーク・アーマド・バンバは、セネガル最大の教団の一つ、ムリッド教団の創始者。

1853年、上に描いた父、モマール・アンタ・サリーと第三夫人マンジャーラ・ブソーとの子供として現在の教団の聖地であるトゥーバ(Touba)の位置するバオル地方のンバケ(Mbacké)に生まれました。

彼が36歳になった1886年にはラット・ジョール王が戦死。当時のウォロフ民族は混乱に陥ります。当時すでに学識が各地に知れ渡っていたバンバのもとには行き場の無くなった農民や武士など、すごい数の信者達が集まります。ふくれあがる信者たちの集団はフランスに不安を与え、植民地政府はバンバが武装蜂起をおこそうとしていると懸念して何度も流刑に処しています。(ガボンに1895 年から1902 年までの7年間、モーリタニアに1903 年から1907 年の4年間)こんなに長い間セネガルをを留守にしていたのにも関わらず、この間教団は爆発的に発展。これにはこの次に紹介する人物、シェーク・イブラヒマ・ファルという人物が貢献しています。

最終的にはバンバに闘争の意思がないと分かったフランス政府は、ムリッド教団と協力する政策に転換することに。

バンバには数々の奇跡の説話がありますが、語り伝えられる一つに、海の上で祈ったというものがあります。流刑に処される道中、フランス人に船の上で祈ることを禁じられたバンバは、礼拝に使う敷物をはらりと海になげ、その上に飛び乗って礼拝を済ませると、何事もなかったかのように船に戻ってきたというのです。

ストーリーも描きどころも満載の人物ですが、今のところ知られている写真は、顔半分を隠した上のイラストのようなもの。なにしろ現在も信者が多く大変リスペクトされている人物なので、漫画で「顔だし」をしてしまってはたして大丈夫か?イメージを変えたり汚したりしないか?がエピソードを描くときの難点です。上のキャラデザインでは顔はまだ非公開で、まずまず忠実にできたはずなので、意識を高く試みてみます。


シェーク・イブラヒマ・ファル

Cheikh Ibrahima Fall

  (1855-1930)

IBRAFALL

今まで私の知っている「イスラーム聖人」の部類にあまりいなかったタイプ・・・。そしておそらく本人は絵と同様、もしくはそれ以上にイケメンです(下の参考画像照)   (*´ェ`*)

彼は今セネガルの若者の間でもかなり信者が多いムリッド教団の内部の「バイファル」と呼ばれるグループの創始者です。ドレッドヘアー、パッチワーク、ぶっといベルト、そして棍棒・・・今でもバイファルのスタイルになっているこのルックスには色々な説話がありますが、これはまた次の機会に。

もともとウォロフ族の武士で、イスラーム教には疎かったイブラ・ファルですが、上のアーマド・バンバに出会って「まるで雷にうたれたように」運命を感じ、その場で彼の信者になります。それからは「狂信的」と言われるほどに宗教に打ち込み、バンバの命令に絶対服従するイブラ・ファル。アーマド・バンバへの烈しい忠誠と、その並ならぬカリスマ性にまつわる話、奇跡を起こした話などが沢山語り継がれています。

そして、忠誠心、信仰心だけでなく、実際かなり現実主義で頭の切れる男でもあったようです。というのもアーマド・バンバが流刑になっていた何年もの間、弟子の一人としてフランス側との交渉を行い、ムリッド教団を一大落花生農業開発宗教法人といってよいほどの組織に育て上げたのは、彼の多大なる労働と知的貢献があったからこそ、と言われているからです。


長い人物紹介、お付き合いありがとうございました!

セネガルの魅力的なヒーローたちについて、垣間見ていただけたら幸いです。

(参考画像)

 

実際歴史資料として知られているシェーク・アーマド・バンバ(左)と、シェーク・イブラヒマ・ファル(右)の写真。

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